MEMBERメンバー紹介

GROUP LIST

  • 声音メンバー
  • 料音メンバー
  • 撮音メンバー

声音メンバー

藤原 カズヒロKazuhiro Fujiwara

藤原カズヒロ

やりたい事に全力投球してきた仲間たちとの化学反応でイベントに「いい音を創り出す」。
IIOTOは、そんな楽しい騒ぎを具現化するプラットフォーム。

目立つ。例えばサッカースタジアムで、六本木ヒルズアリーナで。ラジオの生放送でも、プライベートで通う飲み屋でも同じだ。マイクを持っているから。声が通るから。そんな物理的な理由だけではない。藤原カズヒロを中心に必ず輪ができ、騒がしくなる。

新しく立ち上げたIIOTOは、そんな楽しい騒ぎを具現化するプラットフォームだ。「好きな事にしかエンジンが掛からない」と話す彼の元に、話し手、料理人、DJなど各方面のプロフェッショナルが集う。やりたい事に全力投球してきた仲間たちとの化学反応でイベントに「いい音を創り出す」。参加者の五感を満たす空間を生み出している。生き方を仕事にも、とことん反映させる。その結果、周りの人たちに恵まれ、助けられ続けてきたと振り返る。「やりたいことをやってるから、(周りが)面白がるんだと思う。好きなことをやらないと、それこそ自己否定になる」。

どのようにして、この信念を築いていったのか。高校卒業後は日本の大学ではなく、米国の大学に留学。「音楽とか、ファッションとか。好きなものの元をたどると、全てアメリカだった」と海を渡った。就職先は決まらぬまま、4年で帰国。でも当時から弁は立った。「自分では一番簡単なものを取ったつもり。何か才能はないけど目立ちたかった。マイクを握るしかない」と、喋ることに活路を見出そうとした。

アルバイト生活を送りながら、自ら企画した音楽フェスなどでMCを務めた。どこに居てもインパクトを残す人柄。あらゆる方向に人脈を広げていくと、福島市内のコミュニティFMを紹介された。これが最初の転機。おつかいに機材運びに、何でもやるうちに番組で話す機会を得た。話し手の勉強に打ち込みながら地道に実績を残すと、テレビからもオファーを受けるなど、地域から県域に知られる存在となった。

2011 年には念願だったラジオ局から声が掛かる。ふくしまFMに入社、その直後に東日本大震災が発生。これらも大きな転機となった。災害情報を取材するため、県庁を頻繁に訪問。すると県職員にも顔が知れ渡った。次第に復興や風評被害払拭にまつわる番組やイベントなどに、現在に至るまで数多く携わるように。当時を「変なスイッチが入った」と振り返る。甚大な被害を受けた地元を愛するがゆえ。「好きな事」を全力を尽くし続け、活動の幅を県外にも広げた。携わる仕事の中には、ふくしまFMでのレギュラー番組や、Jリーグ・福島ユナイテッドのスタジアムDJなど、長く続くものが多い。原動力は好きな人達。「同じ価値観で集える人って人生の宝でしょう」と力を込める。

そうした仲間を増やしたい。これがIIOTOを立ち上げた、もう一つの理由でもある。 イベントで、ラジオで、不特定多数の参加者やリスナーにMCを繰り広げるが、クライアントはあくまで企業。「お客さんやリスナーと直接つながりたい」というのが発端だ。 そこで〝トークの駅前留学化〟を一つの構想に挙げる。潜在的な需要が多いという話し方講座。企業向けや、アナウンサー志望者などを対象とした人材育成などと並行して、個人が会社帰りに立ち寄れるようなワークショップを企画している。話し方のスキルアップをきっかけに「色んな人に出会ってみたい」と望む。「IIOTOをきっかけに、人生が豊かになれば」。自身と社会がWin―Winの関係を築けるきっかけづくりを創造していく。

料音メンバー

芳賀 眞Makoto Haga

カレー人(curry diningbar 笑夢 店主)

芳賀 眞

人と人をカレーで繋ぐ。

福島に、”地元の味”として愛されるカレー店がある。スパイスの香りが混じった美味しい空気の流れる店内には、絶え間なく人が訪れる。そのカレーを一度口にすると、ふと笑みがこぼれてしまう。それが『笑夢カレー』だ。

「ワクワクすることが好きだからね、ずっと走ってる」。そう言って大きく笑う人物こそ、『笑夢カレー』創業者・芳賀眞。

『笑夢カレー』の魅力といえば、スパイス。芳賀が組み合わせ、独自に作りあげた賜物だ。このスパイスについて、振り返る。「オープンしたけど3年間は、コレだっていうのがなかったんです。独学で、師匠もいなくて」。

子供の頃。ちょっぴり料理下手な母の代わりにカレーを作ったことをきっかけに、カレーカルチャーに魅了された。20代半ば、カレーと生きていくと決意。だが2006年当時、福島だけでなく日本は、スパイスカレー未開の地だった。ネットの情報も、ないに等しい。できるのは、とにかく作って食べるを繰り返すこと。しかし、「全く折れることはなかった」と明るく話す。その理由は明確。それが、『ワクワクすること』だから。

試行錯誤を重ねる日々は、3年ほど続いた。そんなある日。その日も、いつものように何も考えずに作ったカレー。だが、それを食べた瞬間、衝撃を受ける。そして、強い確信を持った。「これは、絶対にいける」。今や店の顔となった、バターチキンカレーとの出会いだった。それから今に至るまで多くの人がこのカレーに惚れてきた。それを見て「俺、カレーになりたい」と楽しそうに彼は笑う。

スパイスカレーカルチャーを開拓したが、そこに終わりはない。次なる計画は『人と人をカレーで繋ぎ続けていくこと』。その計画の基に、県内を飛び出してキッチンカーでの移動販売・『笑夢カレー』を中心に日本各地のカレーを集めて全国に発信するカレーのアンテナショップ・日本全国のフードロスに目を向け、本来は捨ててしまう動物の部位や消費が追いつかず余ってしまった農産物、海産物を加工したカレーの商品化・病院食として導入が難しいカレーを美味しさはそのままに患者向けに開発するなど、カレーを通して人と繋がる様々なアクションを起こしている。

カレーは、芳賀と数えきれほどの人たちを繋いできた。カレーを通して繋がる出会いがあることを知っているからこそ、彼は動く。「カレーコミュニケーションっていうのかな。カレーで人と人を繋ぐっていうのは、絶対ブレないでやっていこうって」。そう語る彼は、出会う人と人をカレーで繋いでいくことに、ワクワクしながら、今日も走り続けていく。 笑夢カレー Facebook

川村 慶輔

炭火と蕎麦人。

(ダイニングバー酒と肴と〇〇と   慶輔」 Sandwich&KaraAge「LUCKY JUNK」 店主)

川村 慶輔

冒険。

『ロビンソン・クルーソー』は、たどり着いた土地を自らの手で創造した。いうならば、川村慶輔は現代に生きるロビンソン・クルーソーだ。

18歳のとき。本で偶然目にした『自給自足の村を創る仲間募集』の文字に強く惹かれたことをきっかけに、沖縄に渡り自給自足の村を作るプロジェクト「ビーチロックビレッジ」に参加。そこでは牧場で馬、牛、ヤギ、鶏の世話や、土地を耕し田んぼを作って米作りをするという全てを自分たちの手でゼロから創り上げるという冒険的な毎日を過ごした。「凄く刺激的で楽しかった。それに、生命力はめちゃくちゃ高くなったと思います」。大きな声で明るく笑う。 そんな彼が福島の地にたどり着いたのは、2011年の冬。震災ボランティアで訪れた石巻で、福島県人と出会ったことがきっかけだった。そこで「福島で何かやりたい」と思いを募らす。そして、所属していた「ビーチロックビレッジ」を運営する、世界中に衣食住の施設を置くプロジェクト集団「PLAY EARTH」が、福島に「Bohemian Fukushima」という小さな食の店を開くと共に、福島に根を下ろした。

それから10年。福島に植えた“川村慶輔”という名の木は、しっかりと根付いた。「福島で出会っていく人たちが温かくて、みんないい人たちばっかりで」。福島で出会った人たちと築いた信頼が大きなエネルギーとなり、木は大きくなった。 そして、その木から看板を立てた。それは同じ場所にありながら昼と夜で違う顔を見せる。昼は、牛肉と野菜、たっぷりのチーズをはさんだサンドウィッチと自家製ダレが決め手のビッグサイズな唐揚げのテイクアウト専門店「LUCKY JUNK」。夜は、日本各地の食材を使った創作料理と福島の地酒を楽しめるダイニングバー「慶輔」。

2つの看板を立てたのは、年代・年齢・性別に関係なく様々な人たちと、食を通して出会っていきたいという想いからだ。例えば「LUCKY JUNK」は、学校終わりで腹ペコの高校生が友人たちとお金を握りしめてやってきて胃袋を満たしながら青春に花を咲かせる。一方「慶輔」は、同じ毎日を生きる社会人が日々のあれこれを仲間たちと語り、いつもよりちょっとだけ特別な時間を過ごしていく。そんな風に1つだけに決めないことで、様々な人と出会うことができる。そして、そこで出会った人たちとの縁を結んでいくことが彼の目標だ。

「あそこ行ったら、慶輔がいるのは当たり前だけど誰かがいて、いろんな楽しい話ができる場所になったらいいなって」

彼の冒険は、まだまだ終わらない。これから出会う人たちと、ゼロから一緒に何かを創り上げていくことを楽しみにしている。

撮音メンバー

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